実は春頃に記事にしようと思って途中まで書いていたものがあります。
どんな内容かというと。
今年はポタジェガーデンで除草剤を使うのをやめてみようかなと思っています。
これまでは定期的に父が撒いてくれていた除草剤。
たしかに簡単に綺麗さっぱり雑草は無くなるし、大変便利なものではあります。
でも土がむき出しになったポタジェガーデンを眺めていても、どうしても綺麗だなって思えないんですよね。
野菜や花はすくすくと育っているのに、その周辺の地面には草の1本も生えていない。これってとても不自然じゃないですか?
数ヶ月前の僕へ。
よく考えろ。そんな甘いもんじゃないぞ。
そう、一度は除草剤を使わないと決めたのですが、草の勢いは凄まじく、結局は使うことになってしまったのです。
僕は雑草に負けました。
休みの日はひたすら草刈りをしましたが、それでも負けました。
完敗です。
とは言え、除草剤に頼りたくないという気持ちには変わりはありません。なのでまずは相手のことをもっとよく知ることから始めようと思ったわけです。
「雑草はなぜそこに生えているのか」
そんな時にふと見つけたのが「雑草はなぜそこに生えているのか」という本。これがとても面白かったので引用を交えつつ紹介したいと思います。
稲垣栄洋さんという植物学者の方が書いたこの本、まず最初に雑草とはなんなのかという問いから始まります。
根性ダイコンは 、雑草なのだろうか 。道ばたに生えているのだから 、そんなものは雑草だろう 、という意見の人もいるだろう 。逆に 、どこに生えていても 、ダイコンは野菜であって 、雑草とはいえない 、という意見の人もいるだろう 。この問題は 、かなり難しい 。
ひと口に雑草とはいうけれども、そもそも雑草ってなんなのか。そういえば僕はそんなことも考えたことがなかったと気付かされたわけです。
いったい僕は何と戦おうとしていたのだ!
ちなみに根性ダイコンというのは、アスファルトの割れ目から生えてくるダイコンのことです。時々ニュースで取り上げられたりしますよね。
一番知りたいこと、「雑草をなくすにはどうすればいいか」についてはこう書いてありました。
抜いても抜いても生えてくる雑草を 、完全になくす方法が一つだけあると言う 。それはいったい 、何だろう 。雑草を完全に根絶やしにすることは難しい 。この雑草を完全になくす方法が一つだけあると言われている 。意外なことに 、それは 、 「雑草をとらないこと 」だと言うのだ 。まるで禅問答である 。
全然意味がわかりませんね。雑草を無くしたいのに雑草を取ってはいけないなんて。
雑草は弱い
意外なことに雑草はとても弱いのだそうです。
植物の世界には遷移というものがあって、何も手を加えなければ最終的に陰樹林という森になり、森では雑草は生きることができないそうです。
草刈りをするから遷移がリセットされ、また雑草が生えてくる。つまり人間がいる所にしか育つことができない。そういうわけ。
とはもちろんならない。
たとえ雑草がなくなったとしてもそこには森があるわけで、畑としてはもはや機能しないからだ。
つまりこの本には雑草と戦う実践的な内容は何も載っていないのです。
でもそんなことはどうでも良くなるくらい面白い。雑草の本なのに哲学書を読んでいるような気分になってくるんですよ。
雑草の生き方に人生を学ぶ
以下、僕が面白いと感じたところをいくつか抜粋。
雑草は勝負を逃げているわけではない 。土の少ない道ばたに生えることは 、雑草にとっては戦いだし 、耕されたり 、草取りされる畑に生えることも雑草にとっては戦いだ 。確かに 、強い植物との競争は避けているけれども 、生きるためにちゃんと勝負に挑んでいるのである 。どこかでは勝負をしなければならない 。ただ 、勝負の場所を心得ているのだ 。
変えられないものは変えられない 。変えられるものを変える。
変えてよいものに固執して 、無駄なエネルギ ーを使うよりも 、変えてはいけない大切なものを守って行けば良いのだ 。
雑草の自由さを見ていれば 、 「こうあるべき 」というのが 、どんなに狭い考え方かわかるだろう 。私たちが住む自然界というのは 、もっともっと自由なのだ 。
どうでしょう?
雑草の本を読んでいたはずなのに、自己啓発の本を読んでいるような気になってきませんか?なんだか雑草に生き方を教わっているような、そんな気分。
雑草に勝つために読み始めたというのに、いつのまにか雑草が先生になってしまった。本来の目的とは違ってしまいましたが、これはこれでとても良い本に出会えたなと思います。
最後に、冒頭の「雑草とはなんなのか」に対する答えですが。これはぜひ本書を読んでみてほしいなと思います。この世に意味のないことなんてないんだって思えてくるに違いないです。