いなっちょの独断と偏見で、おすすめの写真集をライトに紹介していくシリーズ。
今回は増山たづ子さんの『すべて写真になる日まで』
ダムに沈みゆく故郷を写真に残し続けたおばあちゃんの写真集です。
岐阜県徳山村。
戦争で夫を亡くした後、村で農業のかたわら民宿を営みながら暮らしていたたづ子ばあちゃん。平和に暮らしていたその村に、ある日、ダム建設の計画が持ち上がります。
皆が仲良くいつも笑って過ごしてきたその村も、補償交渉の早期決着を望む促進派と慎重派に分かれ、対立するようになってしまいます。
当初、建設に反対だったたづ子ばあちゃんでしたが「国が一度やろうと思ったことは、戦争もダムも必ずやる」と考え、60を過ぎてからカメラを手に徳山村を記録し続けました。湖底に沈む運命の故郷の姿を残すために。
生涯撮影した枚数は10万カット以上にも及び、写真の現像料は多い月で20万円を超えることもあったそうです。生活費を切り詰めてまで撮影し続けた、たづ子ばあちゃんの写真に込められた想いに心が震えます。
ダムのせいでふるさとを追われたのに、その写真からは恨みとか怒りといったものは感じられず、優しさに溢れていたように見えました。ギクシャクしていたという村人たちが、たづ子ばあちゃんの写真の中では、本当に自然な笑顔で写っているんです。まるで、その家の家族アルバムに収まっていそうな写真の数々。
でももうこの村は存在しないんだという現実が、読む人の心をとても切なくさせます。
プロのカメラマンではないから、いわゆる上手い写真ではないかもしれないけど、被写体に真正面からストレートに向かい合って撮影されている。たづ子ばあちゃんだから撮れた、たづ子ばあちゃんにしか撮れない写真を見て、あぁ、写真の本質ってこういうことなのかなって、僕は思いました。
普段見落としてしまいがちな「大切なもの」を見つめ直すきっかけになる写真集じゃないでしょうか。
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