写真は記録を残し、記憶を共有するためのツールなのだ

写真、撮ってますか?

今やスマホでもきれいに撮影できるようになって、誰でもカメラを持っているような状況になりました。どこかに出かけると、カメラやスマホでパシャパシャと記念写真を撮っている姿をたくさん見かけます。
でもどうでしょう。
案外普段の生活の中でシャッターを押すことって少ないんじゃないでしょうか。

それってちょっと寂しいなって思うんです。
もちろん、どこかに出かけて撮る記念写真もステキです。でも1年のうちの大部分を占める何気ない日常にこそ、その人らしさが詰まってるんじゃないかなーって思うんですよ。僕は。

日常は残しておきたい瞬間でいっぱいだ

たとえば

自分の人生を人と共有するためのツールとしての写真

プライムビデオの韓国ドラマに夢中になってる妻の後ろ姿

たとえば

自分の人生を人と共有するためのツールとしての写真

キッチンの下でゴロゴロしてるノエル

たとえば

自分の人生を人と共有するためのツールとしての写真

そのノエルの側でさらにゴロゴロしてる僕

ほら、あなたの家にも、そんなステキな日常が転がっているでしょ?

過去を写真に残すことはできない

時には表現の手段にもなったりする写真だけども、もっとも重要なのは見たものを記録することができるということでしょう。

いま目の前にある光景をそのまま閉じ込めることができる。過ぎ去って行く時間を永遠に留めておくことができる。「うおーすげー!アンビリーバボー!」ってカメラを発明したエライ人は思ったと思うんだけど、カメラが残せるのは今この瞬間のみで、過去は絶対に写せないんですよね。今のところは。

今シャッターを切らなければ、目の前のその光景は、自分の頭の中だけにしか存在できないんですよ。

写真がないということは、言葉以外に共有する術がないということ

仕事で結婚式の撮影をしていると、新郎新婦の生まれた頃からの写真が流れることがよくあるけど、まさに新郎新婦の人生を会場のすべての人が一瞬で共有するんです。他人であるはずの僕でさえ、なんだか昔から知っているような、そんな気持ちになる。

もし写真がなかったら。

韓国ドラマに夢中になってる妻の様子も、ゴロゴロしてばかりいる僕の様子も、それを伝える術は言葉しかないことになります。(いや、ゴロゴロしてるとこは伝えなくていいけどさ)

それってちょっと怖くないですか?

僕が超饒舌で、みんなの頭の中に情景が浮かんでくるほどの巧みな話術を持っていればいいんだけど、もしうまく伝えられなかったら、もし僕が忘れてしまったら。自分たちはこんな風に生きてきたよってのを誰かと共有するのが難しくなってしまうわけで。それは無かったのと同じになっちゃうんじゃないかって。

写真は記録を残し、記憶を共有するためのツールなんだなって思うのです。

だから今日も写真を撮る

とにかく、カメラなんてなんでもいいから、目の前の愛しい瞬間を写真に残そうよ。それはきっとかけがえのないものになるよってこと。だから僕はこれからも写真を撮り続けようと思います。

なんか、すごくいいこと言ったな。

じゃ!

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一生モノという言葉にめっぽう弱い、クルマとキャンプ道具が好きな趣味に生きる男。 フォトグラファーやってます。 映画やテレビのロケに使えるくらいかわいい家を建てて、妻を三浦春馬に会わせてあげたい。